カテゴリー: 東日本大震災

女川町へ

宮城県女川町へと向かう。
津波が訪れた直後、ツイッター上では、
女川町が大変な状態になっているとの情報が流れていた。
海抜20m以上の津波が街を襲い、
鉄筋コンクリート造の中規模ビルが横倒しになって倒壊していると。
実際、私が足を運んだ岩手県大槌町でも、
鉄筋コンクリート造の町役場が津波の被害を受けていたが、
建物の躯体自体はかろうじて残っているという状態であった。
他の街と同様に、女川町旧市街地も今では瓦礫の大半が片付けられ、
見渡す限り、原っぱが広がっている。
その中に3つ、唐突に異質なものが転がっている。
3階建の鉄筋コンクリート造の建物だ。
津波に押し流され、基礎杭が根元からぽっきりと破断している。
基礎ごと横倒しになった建物は、津波の中を漂い、
元あった場所から大きく移動したとの話だった。
この現実を目の当たりにし、背中に冷たいものを感じた。
想像もつかない程の津波のパワー。
建築業界の中にも構造強度を増し、津波に耐えるようにすればよい、
などという言説の人もいるようだが、この現実を知って、まだ
同じように言い続けることができるのだろうか。
少なくとも私は、この現実を見て、建築というハードの無力さを知った。
自然の脅威に対してできることは、対抗するのではなく、逃げることだけだ。
三陸地方の言い伝えに「津波てんでこ」という言葉がある。
津波がきたら、てんでんばらばらに一生懸命に逃げろという意味。

昔からそうであったように、自然を恐れ、崇拝すべきだ。
人間の力ですべてをコントロールできるなどと、過信してはいけない。
建築業界に携わるものであるならば、
少なくともこの場に立ち、この現実を目にするべきだと思う。

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牡鹿半島へ

仙台から車を走らせ、牡鹿半島を目指す。
あの津波の発生から1年と7ヶ月の時間が経った。
メディアでは復興、復興とよく騒がれているが、
いったい本当の現状はどうなっているのか、自分の目で確かめてみたいと思っていた。
かつては、そこに集落があったのであろう場所は、
瓦礫が片付き、ただの空き地となっている。
しかしよく目を凝らせば、かつてそこに建っていたであろう家の基礎が
草むらに隠れ残っている。
目を覆いたくなるような、あの津波後の瓦礫の散乱した風景は確かに消えた。
ただ、復興というまでにはまだまだ遠い。
そこには、働く場が無い。
今必要なのは、復興直後の災害支援という、緊急に必要な支援ではなく、
今後はそこで暮らす人たちのために、仕事を作っていくというような支援の形だ。
老子の言葉、「授人以魚 不如授人以漁」を思い出す。
「人にを与えれば一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける」
復興支援の形は、時間とともに変化していく。

災害は終わっていない。今後とも長期的な支援が必要だ。

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大槌町よ、また

昨夜の夜行バスで東京へ戻ってきた。
長いようでいて、あっという間の1週間だった。
最初は、あまりに膨大な作業量に、前に向かうだけで精一杯だった。
どうやって避難所に物資を届ければよいのか、連絡の方法は?
支援物資を提供してくれる人たちはどうやって募るのか?
などなど、全く先が見えない中での現地活動だった。
次第に協力をしてくれる仲間たちが現れ、
やっと今、この支援活動の着地点が見えてきた。
この1週間で本当に大切な仲間ができた。
その人たちの協力がなければ、ここまで短い時間で
この支援体制を作ることは出来なかったと思う。
一人一人の小さな力があっという間に、
ここまで大きくなったことに感動している。
(一緒に大槌町を走り回ったK氏のブログ
明日には、ツイッターで繋がったミカジョンこと野口美佳さんが
K−1ファイターの小比類巻さん、GLAYのTERUさんを
大槌町大槌高校へ連れてきてくれるという。
彼らの訪問がきっと大槌町の未来に元気を与えてくれることだろう。

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大槌町4月15日

大槌町7日目。
今日は自転車で各避難所を回った。
何カ所かの避難所では、先日ヒアリングした必要物資がすでに届いていた。
避難所の方々のほっとした顔に、逆にこちら側が安堵する。
こうして、必要とする人たちに必要なものを直接支援する活動。
これが実現していけば、被災地支援の新しいカタチができると思う。
避難所には少しづつだが確実に物資が届きはじめている。
モノが充実した後には、今度は心のケアが重要になってくる。
ただ落ち込んでいるだけでは、復興を実現することはできない。
被災地の人たちが悲しみを乗り越え、次に向かって進むための心のサポート。
訪れた安渡小学校では、丁度、自衛隊によるバンド演奏が行われていた。
前に出て無邪気にタクトを振り、はしゃぎまわる子ども達。
ニコニコと笑顔でそれを見ている人たち。
この街で生きていくための強い心を。
瓦礫の中から力強く立ち上がるための希望を。
すでに支援のカタチは次の段階に入っていたのではないかと思う。
自衛隊の演奏する愛燦々のメロディー、目に涙がにじむ。

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ふんばろう東日本支援プロジェクト

ふんばろう東日本支援プロジェクトの活動に賛同し、
岩手県大槌町の現地ボランティアに来てから、6日目。
当初、ここまで滞在が長くなるとは予想していなかったが、
乗りかけた船、この活動が軌道に乗るまでは現地に留まるつもりだ。
昨日今日と、ずっとノートPCの前に座り、避難所データのまとめや
Googl Map上へ避難所をマッピング行っている。
友人からは避難所から直接必要物資を入力できる携帯サイトの提供の
申し出もあり、これをアマゾンのウィッシュリストと連動させることで
よりスムーズに必要物資を届けるシステムの構築も進めている。
パソコンとネットを駆使することで、ここ数日で大きく広がった友人の輪。
googleで情報を収集し、ツイッターやfacebookで情報を発信、
スカイプとチャットを使い様々な人とミーティングを行う。
メールやツイッター、スカイプでは良く知っているのに
まだ実際に会ったことのない多くの友人たち。
今この非常時において、私の中で新しいコミュニケーションの
カタチが生まれつつある。
今こそそれぞれの技術と知を結集すべき時だ。

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大槌町4月12日

大槌町4日目。
ふんばろう東日本支援プロジェクト。大槌町地区。
今日までで大槌町の避難所をすべて廻り終わり、
避難所の皆さんにこの活動を知ってもらうことができた。
後は情報を整理し、避難所が必要としている支援物資をその場に届けるだけ。
今日は友人から、携帯で避難所から直接情報をアップできるシステムの
無償提供の話もあった。ありがたいことだ。
明日からは避難所と支援したい人を直接つなぐ方法を考えていきたい。

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大槌町4月11日

大槌町3日目。
私が大槌町にいる間にも街の表情が少しづつ変化している。
重機によって街の瓦礫が少しずつ片付けられているのだ。
街が片付いていくことで、悲惨な津波の記憶が
被災した人々の心から少しでも薄れていって欲しいと願う。
しかし反面、同時に支援者である方々の心からも
この津波の記憶が消えていってしまうことを心配している。
瓦礫が綺麗さっぱり無くなってしまった後だって、
愛するものを無くし、家を無くし、仕事を無くした
人々の厳しい現状は依然、変わることがない。
今後、街の復興をどうするか、産業、雇用をどうするのかなど、
長期的なアイディアと支援が必要だ。
街が綺麗に片付き、メディアが撤退していくことで、
人々の関心が薄れていかないことを願う。
折しも今日で地震から丁度1ヶ月。
サイレンの音とともに黙祷を捧げる。

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大槌町4月10日

大槌町2日目。
リストアップされている55カ所の避難所を1つ1つ廻り、
避難所の状況を把握し、被災された方々に支援内容と方法を説明していく。
とても地道で根気のいる作業だ。
地図が当てにならないほど壊滅した瓦礫の街を駆け回り、
避難所を見つけては、丁寧に話を聞き取っていく。
支援物資は行き届いているとの情報も一部あるが、
1ヶ月経って未だ、布団もなく、食料が限られている方々がいる。
特に街から離れた小さな避難所にその傾向が強い。
そんな避難所へ支援物資と皆さんの思いを送ってください。
協力お願いします。
政府機関や赤十字を介さず、被災者の皆さんと支援したいという人たちを
ダイレクトに結ぶ活動「ふんばろう東日本支援プロジェクト

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大槌町のこと

橋を渡る。ここからが大槌町。
ここまでの平和な田舎の風景が川を超えた瞬間に一転し言葉を失う。
眼前には、果てしなく広がる瓦礫の山。
津波は、すべてを力任せに薙ぎ倒していった。
報道写真では状況を理解をしていたが、それは想像以上であった。
ここに立ってみなければ分からない、感情が自分の中に一気にわき起こった。
それは怒りにも、そして悲しみにも似た複雑な感情だった。
何が起こっているのか、冷静に考えることができない。
頭が思考停止してしまうほどの情景。
立ち止まってはいけないと、自分を奮い立たせる。
厳しい状況の時ほど、冷静さが重要。深呼吸してまずは活動を始める。
私が行う活動は、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の現地隊員。
各避難所を一つ一つ回り、避難所で必要なものを調べ、ネットで公開し、
全国の人たちに支援物資を募り、避難所へ配送するというもの。
変わり果てた街で、手探りの聞き込み作業開始。長い一日が始まる。

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またもや、余震

昨日の震度6強の余震のため、東北地方全域が停電。
また、東北自動車道も一部区間が通行止め。
津波後の復興支援のため新潟より、岩手県大槌町へ向けて車で移動するが、
なかなか目的地までたどり着けない。
途中断念し、宮城県の古川で仙台へと引き返す。
明日こそは、季節外れのサンタの様に、被災地へプレゼントを届けます。

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心からお見舞いを申し上げます

「東日本巨大地震」で被災された皆様さま、関係者の皆様に
心からお見舞いを申し上げます。
一日も早く復興されますよう心からお祈りいたします。

金子勉建築設計事務所は、設計活動と物資支援活動を通して
被災地の皆さまと、明日の日本に少しでも
勇気と元気を届けられればと思っております。

事務所代表 金子 勉

長い日々

地震発生から2週間あまりが経過した。
今までに経験したことのないくらい、本当に長い2週間だった。
地震、津波、原爆事故、放射性物質の飛散、と立て続けに届く不穏なニュース。
当たり前に訪れると信じていた普通の明日は、
今では当たり前では無くなってしまった。
この短い間に、今まで築いてきた価値観は脆くも崩れてしまった。
新宿という街には、その不安の空気が淀んでいる。
照明が消え、店は閉まり、人も疎らになってしまった新宿。
テナント料の高い都心では、すぐにでも経営が回らなくなり、
店や企業は閉店を余儀なくされるだろう。
人口を喪失し、消費活動が停滞し、やがてゆっくりと死んでいってしまう都市。
被災地を、そして日本を救うためにも、今、経済活動をやめてはいけない。
ただ闇雲に怯えるのではなく、自ら情報を収集し、
リスクを自分自身で判断し、自分の生産活動・消費生活を続けていくこと。

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