カテゴリー: 原子力発電所を巡る

美浜原子力発電所を訪れて

敦賀原子力発電所を後にし、半島裏側の美浜原子力発電所へと向かう。
峠を越えて、車で約30分。
目の前に白い砂浜と青い海が広がる。
車を止め、砂浜を歩く。
美しい風景の先、異質なものに目が止まる。
初めて見るのに、見たことのある風景。
忌野清志郎の「サマータイム・ブルース」が頭の中に響く。
「人気のない所で泳いでいたら 原子力発電所が建っていた」
「電力は余ってる 要らねえ もう要らねえ」
現在、国内すべての原子力発電所は、停止または定期点検中であり、
稼動しているものは一つもない。
火力や水力発電所がフル稼働しているからとはいえ、
電力が不足するというような話を聞かなくなった。
安全性に不安のある原子力発電に頼るのではなく、
多少発電コストが掛かったとしても、
他の安全性の高い発電方法を選択するのがベターではないのか。
夏には、この砂浜は海水浴客でいっぱいになるという。
のんびりとした平和な空気の中に建つ、不穏な存在。
このコントラストの違いはいったいなんなのか。
暴力的な力を宿しながら、無表情を装って、知らん顔して建っている。

021022023

敦賀原子力発電所を訪れて

朝の空気の中、車を走らせる。
くねくねと曲がる道の右手には静かな海が広がり、
左手には樹々に覆われた山々が連なっている。
ときどき見える漁村以外には、特に目を止めるものはなく、
どこまでも美しい田舎の風景が続いている。
朝という時間帯もあってか、細い海沿いの道路は、
のんびりとした風景とは、対照的に交通量が多い。
何台ものバスが前を走っている。
行き先には、敦賀原子力発電所と表示されている。
発電所で働く人たちの通勤バスなのだろう。
この細い道路が敦賀原子力発電所へ至る唯一の交通ルートなのだ。
先週の豪雨の影響で、土砂崩れが起き、
道路まで土砂が流れ込んでいる箇所があった。
この半島の裏にある高速増殖炉もんじゅでは、
土砂崩れで道路が閉鎖し、施設が孤立してしまったとのニュースが流れていた。
この海沿いを走る道路は、場所によっては海面近くを走っており、
津波が起これば、容易く流されてしまうであろうことが予測される。
山からの土砂崩れと海からの津波。
道路は、二つの脅威に晒されている。
自然災害により事故や異常が起きたとき、
そこに至るルートが分断されてしまえば、
原子力発電は、手に負えるものでは無くなってしまう。
発電所自体の安全性だけでなく、
その周辺のインフラの整備にも目を向けていってほしい。
静かな海の向こうに、朝日に照らされた敦賀原子力発電所が見えてきた。

敦賀原子力発電所

003004

玄海原子力発電所を訪れて

福岡より玄海原子力発電所へと車を走らせる。
もう10月も終わりだというのに、気温は27度。
日向にいると、蒸し暑ささえ感じるほどだ。
唐津市街を抜け、峠を越える。
目の前には真っ青な玄界灘。
青い海の手前には、無機質な白い建物群。玄海原子力発電所だ。
発電所の向かいにある半島へと向かう。
釣り客の後をついて細い道を下っていくと、
突如、原子炉建屋が目の前に現れる。
あまりの近さにぎょっとする。
距離にしておよそ300m。無防備ささえ感じる。
想像もできないほど暴力的な力を内蔵している原子炉建屋。
その力とは無関係なほどあっけらかんとした外観。
今まで国内のいくつか原子力発電所を見てきたが、
ここの印象は他とは違ってずいぶんオープン。
隠されているというよりも、当たり前にあることで、
却って忘れ去られているかのような雰囲気。
1号機は、すでに運転開始から30年以上の時を経ている。
老朽化に対して今後、どのように対策を立てていくかが、今まさに問われている。
平和と危機は、常に背中合わせだ。

001 002 003

女川原子力発電所を訪れて

牡鹿半島の海岸沿い走り、女川原子力発電所へと向かう。
ここ女川は、津波の被害を受けた被災地でもあり、
いつもの原子力発電所を巡る感覚とは、少し異なる。

原子力発電と津波災害は本来、分けて考えるべき事象だと自分は考えている。
3・11の津波により、福島原子力発電所が被害を受けたことにより、
原子力発電=津波=危険、という議論に陥ってしまいがちだが、
原子力による発電という事象と、大津波という事象というものは、
本来、別のカテゴリーのものごとであり、別々に議論を進めていくべきものだと思う。
単純に原子力発電についてだけ考えるのであれば、
原子力発電を停止することで起こるかもしれない電力不足に対する経済不安と
原子力発電を運転することで起こるかもしれない放射能汚染などの災害リスク。
この両方を天秤にかけて、本当にどちらが恐ろしいことなのか、
一人一人がちゃんと考えて答えを出してみればよいのだ。

福島第1原子力発電所は津波の被害を受け、
ここ、女川原子力発電所は幸いにも、津波の被害を免れている。
いったい、この差はなんなのだろうか。
津波に関する限り、単純に海抜、つまり、高さが重要なのだと思う。
実際に女川原子力発電所を見てみると、素人の私でさえ、
高さ15mの津波には到底対抗できるような高さに建っているとは思えない。
この地震国日本にありながら、
また今後、数百年内に再び予想される大津波に対し、
原子力発電所の災害対策は万全だと、果たして言い切れるのだろうか。

012 013 016

川内原子力発電所を訪れて

鹿児島県の川内原子力発電所を訪れる。
薩摩川内までは、鹿児島駅から北西方向へ車で1時間半の距離。
どこにでもある海沿いの長閑な風景が広がる
青い海と緑の樹々の町。
良く整備された道路をゆっくりと走る。
道路の正面に、突如として現れる2つの原子炉建屋。
あまりに唐突。
道路に面した施設入り口の数百メーター後ろには、
緑と青の模様が施された原子炉建屋があっけらかんと見えている。
一見すると、ただの貯蔵タンクのようにしか見えない。無表情。
この中にはとてつもないパワーを秘めた原子炉が眠っている。
果たして、生きていく為に人間は
ここまで巨大な力を本当に必要としているのだろうか?
人間の力では制御することが出来ず、
また、その処分する方法も定まっていない、この巨大な力を。
今一度、この事実を一人一人が自分のこととして真剣に考えるべきだと思う。

001 005 007

島根原子力発電所を訪れて

柏崎、泊に続いて島根原発を訪れる。
原発建設地周辺は、どこも独特の空気が流れている。
この空気感は、言葉や映像では説明しがたいものだ。
まるでこの場所が触れてくれるなという強い意志を発しているような。
少なくとも居心地の良いものではない。
漁港を抜け、くねくねとした細い道路を走っていく。
新緑に覆われた半島と青い海がどこまでも続いている。
少し走ると半島の先端に、白い建物と煙突群が現れる。
豊かな自然の中に突如現れる無表情な人工物。
何とも言えない違和感。
車を降りて何枚かシャッターを切る。
静かだ。風の吹く音だけが聞こえる。
また少し車を走らせる。
地図では原発に近い地点を走っているのだが、
半島の陰に隠れて建物は見えない。
近づけば近づくほど見えないのだろうか。
半ば諦めていた瞬間、急に視界がひらける。
驚くほど近い。場内で作業している人の姿まで見える。
一見するとただの倉庫のような外観でしかないが、
この中に巨大なパワーを秘めた原子力炉が眠っている。
今現在、反原発の世論が高まりつつある。
しかし、原発を止めたとしても
核燃料を廃棄処分するのにかかる手間や年月は気が遠くなるほど長い。
自分たちの世代が生きている期間だけでなく、
数百年、数千年後まで続いていく膨大な計画。
今度も核廃棄燃料の管理技術や核技術開発の手は一瞬でも休めることはできない。

001 002 003

泊原子力発電所を訪れて

漁村を離れ、泊原発の見えるポイントを探す。
海岸沿いの松林を抜け、細い砂利道を走り、海岸へと出る。
目の前には、白い金属の丸い物体が現れる。
ここからは、泊原発は数百メートルの距離だ。
緑と青の自然の風景からはっきりと浮き立つように、
異様な存在感を放っている。
福島原発で事故が起きた今だからこそ、私がこの不吉な空気感を感じるのか、
それとも事故以前からその異様な空気感を放っていたのかは、
今ではもう確かめることはできないのだが。
福島原発では高さ数10mの津波により、建家が損傷を受けた。
ここ泊原発を見ても、海からの近さに驚く。
もし津波が来た場合、何らかの損傷を受ける可能性が高いことは、
誰が見ても予想がつくように思う。
損傷を受けた場合、半径数10キロの範囲で
長い年月に渡って甚大な放射線被害を及ぼす可能性のある原発。
果たして、私たちは、このような人的にコントロールの
出来ないような暴力的で強大なシステムを持ち続けてよいのだろうか。
絶対に良いわけはない。
また今後、仮に原発を止めることが出来たとしても、
放射性物質を冷却し、廃棄するためにはまだまだ
長い年月と膨大な苦労と痛みを伴っていくことだろう。
原子力発電から目を逸らすことなく、
一人一人がこれから先、どうしていかなければいけないのかを考えるべき時だ。

001_2 002_2 003_2

北海道ツーリングへ

お盆明け、少し遅めの夏休みをとった。
休みを使って、バイクでどこにツーリングにいこうと考えていた。
日本海夕日ラインを抜け、北へと走り出す。
新潟港。桟橋には丁度、これから出発しようとしているフェリーが見える。
行き先は小樽港。北海道。
バイクツーリングの聖地。バイクで一度走ってみたかった場所だ。
早速チケットをとり、フェリーへと乗り込んだ。

早朝5時に小樽港に到着。
まだ外は薄暗い。ライトをつけ、どこまでもまっすぐな道を走り出す。
目指したのは、古宇郡泊村。ここに泊原発がある。
今まさに、運転再開するかどうかが話題となっている原発だ。
ニュースによれば、昨日、道議会で再稼働が決定したようだ。
早ければ今日にも再開されるらしい。
再開されれば、福島原発事故後、初の運転再開となるという。
原発システム自体の安全性に疑念あり、
かつ、脱原発、代替エネルギーへのシフトが叫ばれている今、
今後も原発による発電が本当に必要なのかどうか、
再稼働する前に、もう一度考えてみる必要があったのではないだろうか。

泊村の漁港にバイクを止め、小さな村の中を歩く。
かつてはニシン漁で栄えた漁村。
グレーに色あせた下見板貼り壁の家々が点在している。
少し寂しげで、とても静かな村だ。
目の前に広がる緑の山々と青い海。
懐かしさを感じるような風景。
一見、何の変哲もない漁村。
しかし、そのすぐ1キロほど先には原発が存在している。

008 006

柏崎刈羽原子力発電所で、思う

新潟に生まれ、柏崎刈羽に原発があることを知りながら、
未だ原発というものを見たことが無かった。
つまり、3月11日に福島第一原発が事故を起こすまで
原発が私たちの社会にどのように関わり、どのような影響があるのかについて、
無知であり、無関心であった。
今回、3.11地震により原発事故が発生し、
原発は自分にとって目を逸らせないものとなった。
友人には、日本中の原発を撮影している写真家もおり、
その写真やネット上の情報から、
原発という存在がどんなものであるのか、
なんとなくではあるが、自分なりに頭では想像していた。
しかし、考えるだけでなく、
このタイミングで原発というものを実際に目にし、
その場の空気感じ、五感で感じることが必要だと思った。
考えることと、感じることは決定的に異なる行為だ。
柏崎刈羽村は前にも何度も訪れたことがあった。
しかし、原発施設を目にすることはなく、ただ通り過ぎるだけの街であった。
意図的なものなのか、周辺道路を通過するだけでは、
その存在を取り立てて意識することはない。いたって普通の漁村の風景だ。
漁村に車を停め、海岸へと下りる。
目の前には美しい海岸が広がる。
しかし、ふと横を見ると、そこには無機質な建物群。
ぶっきらぼうに、突然、現れる。
漁村のすぐ目の前に、驚くほどあっけらかんと存在している。
初めて見る原発。ひっそりと不気味に、強い存在感を放っている。
この原発がとてつもない数の人々に、
不幸と恐怖をもたらす危険性を持っているという事実。
情報だけでは得ることが出来ない、この場所の空気感。
原発を目の前にして、今後の自分たちの未来を考える。
この原発が私たちの未来にとって本当に必要なものなのか?
原発は、政治や社会の問題ではなく、私たちの前にある事実だ。
一人一人が考えていかなければならない。

002_2 001_2