「住宅」に求められる質とは、何か?

岩室の平屋障子の影

大半の設計者は、住宅の設計を進めている際、住まい手の要望を盛り込み、できる限りその要望を実現しようという事で頭がいっぱいになっていることだろう。(当然、住宅を建てようと考えている住まい手も同時に)しかし、ふと手を止め、そもそも住宅とは?住まいとは?住まい手にとって家とは?と、根本から問い直してみたことはあるだろうか。キッチンカウンターをどう作ろうか?、どんな雰囲気の空間を作ろうか?、こんな仕上げ材を使おうか?、と具体的なモノの検討をするだけでなく、時には住宅に必要なものを抽象的に考えてみてはどうか、ということだ。

例えば、「住宅」を設計してほしいと依頼された際、その「住宅」というのは一体、何を意味しているのだろう。人によっては、ぐっすりと眠れる場所であったり、食材を買って料理を作る場所であったり、仕事をする場所であったりと、十人十色、人によって求める「住宅」の意味は異なる。

そこに住む人が、住宅というものをどのような意味で認識しているのか、それがイメージできなければ本当の意味での、そこに住む人にとって満足のいく住宅を設計することはできないはず。(そんな事をいったら、「住宅」の定義なんてできないように感じてしまうかもしれませんが、、、)それなら住まいを建てようとしている人に、抽象的にどんな家がほしいですか?と直接聞けばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、そもそもそれが分からないから設計者に頼んでいるのであって、それを依頼者に問うというのは、へたをすればバカにしてるのか、と仕事を失いかねない。

住宅の他にも、世の中には多くの建物や空間がある。オフィスであったり、カフェであったり、学校であったりと。それぞれの建物には、その求められる空間の質というものがあるはず。では、住宅に求められる空間の質とは何か。他の建物には無くて、住宅にしかない質とは、何か。

岩室の平屋キッチン

私が考えるに、それは「日常性」だと思う。オフィスや学校では、ある程度の緊張感があり、日々、新鮮な発見や驚きに満ち溢れているべきだろうし、カフェや飲食店では楽しくウキウキするような雰囲気、つまり「非日常性」を持つべきだろう。しかし、そのような場に長く滞在するには、それなりに気を張っていなければならない。住宅にいる時くらいは、気を緩めて無防備になれる、そんな気楽な質をもつ空間、つまり、「日常性」が求められているのではないだろうか。普段通りに朝起きて顔を洗い、朝食を食べ、本を読んだり、洗濯したり、昼寝したり。そんな当たり前の日常を快適に、楽しく過ごせる住宅。(とはいえ、気が抜けすぎていて散らかっていたり、整っていない空間などは当然、論外ではあるのだが。)

きちんとした日常性を空間に与えるためには、派手な空間演出や見栄かかり上の美しさ、高級な仕上げ材を多用するのではなく、普通のことをきちんと設計する、細部一つ一つを丁寧に考えていく事が大切だ。そのように考えて作った住宅には、けして派手ではないが、時間を掛けて使えば使うほど味わい深く、愛着のわく、美しい日常性が宿ると考えている。